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「一首鑑賞」-141

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

141.海だったはずのシャワーを浴びている さっきまでふたりがいた海の

 (阿部圭吾)

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で染野太朗が紹介していた歌です。

sunagoya.com

 鑑賞文の冒頭に

 

「海岸をたどる」は15首からなる。これはもう読者としての僕の問題(というのかなんというのか)なのだが、この一連、とにかくこちらがくらくらしてしまうくらいにまぶしく澄んでいる感じがして、一読してちょっとうろたえた。

 

とあり、さらに

 

青だから海に行こうと言う人の胸の向こうに海を見ている

永遠を信じる儀式なんだろう国道沿いを君と歩いて

海岸に一歩ずつ近づいていくたび背中から生えそうな羽

 

など、全部で8首が引用されます。

 ほんとに、青春真っただ中な感じですね。自分自身の記憶とも重ね合わせて、むしろちょっと苦しいような気持ちになりました。引用元(初出)は「早稲田短歌」47号、2018年、とあるので、ほんとうにリアル青春です。

 この苦しさはどうしてなんだろう。羨ましいのとは違っていて、私にも私の「海」の思い出がいくつもあって、それが層をなしていくつもいくつも引き出されてくるように感じました。戻れないから苦しいのかな。今海に行っても、もうこんな風には感じないだろうから。

 

 冒頭の歌、「海だったはずのシャワー」って、一瞬、海から水引いてシャワーにしてんの?意味ないやん、って考えてしまったのですが、よくよく考えると「この水も全て海から来たんだ」ってことなんでしょうか。

 鑑賞文を読む前、この一首だけ読んだ時は、海水浴場のシャワーなのかなって思ってました。ふたりで海に入って遊んで、帰る前にシャワーを浴びてるとこ。きっともともとは海の水だったんだろうに(僕たちもさっきまでは海の中にいたのにね)、って。

 ですが、鑑賞文を読んでちょっとイメージが変わりました。全15首を読んだわけじゃないので実際はどうか分からないのですが、ここで紹介されている歌の中ではこの「ふたり」はただ海岸線を歩いているだけで、海に入った気配はありません。だから、海水浴場のシャワーではなくて、海には「さっきまでいた」んだけど、今は家に帰ってきていて、それでシャワーを浴びてるのかな、って考えました。

 このとき、シャワーはふたりで浴びてるんだろうか。それとも、一人で帰ってきて一人で浴びてるのかな。もともと疑わず(水着のまま)ふたりでシャワーを浴びた、という絵面を想像していたせいか、帰ってきてふたりでシャワーをあびている(もしかしたらセックスをする前かその後)みたいに思ったんですけど、鑑賞文を読むとそんな単純な「恋愛」みたいな雰囲気でもなさそうなので、連作を全部読まないと分からないのかもなー。

 

 本当は連作全部読みたい気持ちですが、知らなければ知らないでいろんな妄想ができて楽しかったです。そして、こういう胸が苦しくなるような歌に出会えるとラッキーだったなって思うので、ありがたい気持ちでいっぱいです。

 

 

本当は傷つきたくて一号を夏の海まで行けない、いつも (yuifall)