講談社 穂村弘 著 「ぼくの短歌ノート」 感想の注意書きです。
永遠の顔
「永遠」という言葉はうっかり手軽に使いがちですが、こうやってテーマとして取り上げられるとうーん…、ってなっちゃうのは、やっぱりどこかリアルじゃないっていうか、その瞬間には続きがあるよなって思ってしまうからかも。多分、私にとっては永遠よりもまだ「虚数」とか「蛆虫」とかの方がリアルだから。
永遠に忘れてしまう一日にレモン石鹸泡立てている (東直子)
とか
流れつつ藁も芥も永遠に向ふがごとく水の面にあり (宮柊二)
とか、光景を思い浮かべて美しいなとは思うのですが、共感できるかって自問するとうーんってなります。
あー、でも笹井宏之の
えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい (笹井宏之)
は好き。多分、この人には「永遠を解く力」がないんだ、って思うから好きなんだ。その痛みのようなものが迫ってくるから。
つまり「永遠」というのは「無限遠点」と同様に仮想的な概念なんだけど、それが実在するとみなすことによって理論的な見通しが立てやすくなったり、まあ色々現実問題として好都合だっていうことなんですよ(笑)。ね、だから実在するという仮定を前提として生きると楽なんですよ、多分。
写真にも言葉にもせず永遠は忘らるるならそれまでのこと (yuifall)
永遠を死までの距離と見做すとききみの若さを静かに憎む (yuifall)