「一首鑑賞」の注意書きです。
334.くちなはの水を切りゆくすばやさをちらと見しより心やぶれぬ
(金子薫園)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで澤村斉美が紹介していました。
これは、鑑賞文に
「くちなは」は蛇。水の中をするするとすばやく泳ぐ蛇の姿を目にする。それを見たときから心がやぶれているのだという。「やぶれぬ」は「破れぬ」として読んだ。この歌の中で、心の中身は明らかではない。何に対してどう思ったのかを明らかにしたい歌ではないのである。くちなはが水を切るように泳ぐ景色を契機として、不意に破れるように心が動く様子、感情が動く様子を「やぶれぬ」という言葉で捉えているのだ。景色と心の動きとの調和を図る歌だといえよう。
こうあるように、「くちなはのすばやさ」と「心やぶれぬ」の間に直線的な因果関係があるわけではないんだと思います。「くちなは」の何かが心を動かしたんだけど、それは外からは分からないんです。
それはとても分かるんですが、これ読んで『漣の王国』(岩下悠子)を思い出しました。何でも簡単にできてしまうから何にも必死にならない美形の漣と、彼に憧れる瑛子。2人は同じ水泳部員です。必死で努力してもなかなかタイムが伸びない瑛子は、漣に憧れながらもその才能を妬み、「恵まれている」と言います。漣は「恵まれていて悪いか」と返します。でも瑛子は正しいトレーニングを積み重ねることでどんどん速くなり、漣は結局水泳にも何にも必死になれず、何者にもなれなかった。「くちなはのすばやさ」に「心やぶれた」のはどっちなんだろうな、と。そんなことを連想しました。だから何だって話ですけど…。
それにしても、この歌も
灰黄の枝をひろぐる林みゆ亡びんとする愛恋ひとつ (岡井隆)
と同様、世界に奉仕させる歌、なのかなぁ。その辺の読み方がいまいちよく分かりません。
死んでいたはずの精子の一匹が寂しいなんて笑わせるよね (yuifall)