不定期読書感想文。前回の続きです。
次は寺内康太郎と心霊ビデオ研究会との対談で、心霊ドキュメンタリーについてでした。この内容についてはあまり詳しくないのでへえー、と思って読んでいたのですが、途中でこんなくだりがありました。
(心ビ研)『ほん呪』(ほんとにあった!呪いのビデオ)の最初の3作に関して、同作のマニアであるBase Ball Bearの小出祐介さんがnoteにまとめているんですが、「もはや恐怖ではなくノスタルジーが非常に強い」と。今見ると確かに学校の放課後の様子だったり掃除用具だったり、めちゃめちゃノスタルジーを感じる。
ただ話が逆になるんですけど、NewJeansっていうK-POPグループのプロモーションビデオで、すごく凝った90年代ホームビデオ風の映像(「Ditto」)がある。それが韓国人や日本の若い子たちにはすごく懐かしいといった評判だったのに、日本の少し歳のいったファンが最初に見た時、「心霊ビデオっぽくて怖い」という反応が多かったんですね。
つまり90年代の表現に対して、心霊ビデオ系表現を一切通っていない若者たちは、岩井俊二的なもの、庵野秀明の『ラブ&ポップ』的なノリを遡って感じて、懐かしい・エモいみたいな感覚を受ける。それに対して、実際にその時代を通った上の世代は、心霊ビデオ的なフィルターを見てしまい、作られたリアルさを感じてちょっと怖い・不気味っぽく見えてしまうという、逆転現象が起きている。心霊ドキュメンタリー作品は、初期から怖いとは別にちょっとしたエモさを担保しているところがある。最近の作品を色々と見ていると、そういうエモさとどう対抗するか、エモくなりすぎると怖くなくなってしまうことをどう処理していくか、を感じます。
これはちょっと怖い感じに映るフィルムカメラがそれを通っていない世代に「懐かしい」「エモい」とされているのと同じ現象なのかもしれない。フラッシュで撮ると変な光が入ってたり目が赤く光っちゃったりするやつ。
ところで「Ditto」見てみたのですが、
これ、実際に怖い感じに作ってないか?という印象を受けます。私は若い世代ではないですが、でも『ラブ&ポップ』(1998年)も心霊ドキュメンタリー的なテレビ番組も通っていないので「心霊ビデオっぽくて怖い」というのはよく分からない。でもこの映像、古いVHSっぽい撮り方、いわゆるファウンド・フッテージ的な提示の仕方だし、途中でビデオを撮っているギプスを付けた女の子以外が全員消えて、小指に塗ってもらったマニュキュアだけが残っているのに実は彼女以外の全員が存在しなかったかのような演出、ラストの顔が滲んだ女の子の絵を消すシーン、普通にホラーじゃんと思いました。
また、かつてはビデオというものは意図して撮るものだったから意図のないところにある監視カメラやホームカメラの映像に怖さがあった、それがスマホで変わり「なぜカメラを回しているか」という理由付けが消滅して意図のない映像が増えたことや、かつては写真や動画は「見返すもの」だったからよく見返すことで心霊現象を見つけ出していた、今は大量の写真や動画を見返すことはないが同じ静止画や動画を大量の視聴者が見て「誰かが気付く」という流れがあるという、過去と現代の対比が面白かったです。それから、昔は「すべて本当です」という体で出していたけれども今は「フェイクです」と言って出してしまう、というのも面白いなと思いました。
(吉田)怪談でもそうなんですけど、「これ本当なんですよ」って言ったものに嘘が混じっていたらものすごく怒られるんですけど、「全部嘘なんですけどね」と言ったものに本当が少し混じっているのは逆に褒められるんです。おかしな話なんですよ。「これ全部、嘘なんです」っていうのが嘘だったら「おまえ嘘ついてんじゃねえよ」と怒られなきゃいけないはずなのに。だから「全て嘘なんです」ってあらかじめ言っておく方が本当っぽくなるというのはテクニックとしてある。
(寺内)その話を聞いて、ちょっと思い出した。中学生の時、朝礼で体育の先生がいきなり「これは昨日見た夢なんだけど」って前置きして話し始めたんです。おかしいだろなんで昨日の夢の話なんか、って思いながら我々が聞いていると、それが学校で起こった暴力事件の話なんですよ。タバコを喫っている奴がどうとか、イジメがあって誰かが顔から血を流したとか。そして最後にまた「これ、夢なんだけど」と言って終わったんです。それがすごく気持ち悪かった。おそらくそれは本当のことで、大人の事情でちゃんと注意できない状況だった。だからイジメをした人間に間接的に伝えようとしたんでしょうけど、関係ないほとんどの生徒は、それをただただ聞くだけ。中には本当に夢の話をしていると思った人もいたかもしれない。でも僕は今でも印象に残っているくらい、気持ち悪い話だなと感じたんです。
(心ビ研)めちゃくちゃ鳥肌たちました(笑)。
(吉田)だからやっぱり『フェイクドキュメンタリー「Q」』とタイトルに付けるくらい前に出すと、逆にフェイクじゃないんじゃないのという印象になりますね。
このくだりすごく面白いなーと。『フェイクドキュメンタリーQ』買って読んだのですが、本よりも映像の方が面白いのかもなーと思いました。時間あれば見てみようかなー。
次はファウンド・フッテージものの作者である梨との会談です。梨は「SCP財団」にも携わっているそうで…。SCP財団、子どもに人気ですよね。学校の怪談よりも今の子には受けてるんじゃないかな。対談ではSCP関係にも触れられていますが、私はここはあまり興味がないので一読するにとどめました。面白かったのは文体とか、ファウンド・フッテージという手法に関する場面です。梨はネットで育ってきたので、「これはこういうことなんだ」という答え合わせを作者が書くと冷める、それは考察としてやってほしい、と書いています。背筋もそのたぐいなのかな。背筋は「答えは完璧に用意している」と言っていましたが、梨はその点には触れていません。しかし2人とも作中に答えは提示しない手法です。そのようなやり方は長編小説にはそぐわなくて、短編を積み重ねる形になる、とも書いています。確かに『近畿地方のある場所について』も『かわいそ笑』も短編の積み重ねでなる小説でした。そこに雨穴の『変な家』の話題が出てきて、これはミステリーにホラーの要素を入れたもので、ファウンド・フッテージ的な要素はあるものの目指しているのは長編小説の方向ではないか、という視点から、ミステリーとホラーの関係に話題が移ります。
(吉田)ミステリーとホラーは双子みたいなものですから。(中略)というか裏表なので、本当は相性最悪だとも言えるんですけど。
(梨)そこは本当にクリティカルな問題です。ミステリー的というか物語的なカタルシスを求めようとしたら、絶対にホラーの後味の悪さと食い合うんですよね。そこをどうするかという問題が、いまだに根強くあると思います。例えば体験型イベント、今は謎解きイベントなんかも人気ですが、あれでガチホラーをやろうとしたら、結構な非難が起こる気がしますよ。ホラーを求めようとすると、解決のできなさとか後味の悪さとかの方向に触れてしまうので。
まあ、ガチホラーの体験型イベントとしては昔からお化け屋敷がありますからね…。よく分からん廃墟の屋敷とか病院とかで散々怖い思いしたあとで特にオチはないという…。でも成り立ってるし皆楽しんでると思うけどなー。ただお化け屋敷はいわゆる謎解きイベントや脱出ゲームみたいなものとは違うので、言いたいことは分かります。
カタルシスという意味でもそうかもしれないのですが、正直、ホラーは説明しなくても済むという点に甘えている作者が多いのでは、ということは思うんですよね。梨や背筋は戦略的に説明しない、仮に答えがあっても提示せず考察してもらう、という手法をとっています。それは別に否定しないし、私は考察はしないけど作者として誠実な態度だと思う。でも、ホラー読んでると、特に理由もなく怖いことが起こって、で?ってことがままある。それが実話怪談や、実話の体をとっているフェイクもの、モキュメンタリーものなら(実際の体験ってことになってるし体験者本人にその体験の意味が分からないことはあり得るし)許せるのですが、完全創作ものだと腹立つ。解決できない、説明できない、しなくてもよいからオチをぶん投げてるだけじゃねーか!って。それって急に現れた魔法使いが魔法で人殺しまくるのと何が違うのか?異世界転生じゃん?しかし魔法界にも異世界にもルールはあるはずで、ホラーにだって背景に何らかのルールの存在が感じられないと面白くないです。
それからしばらくフェイクドキュメンタリーと実話怪談の受け止められ方についての話が続き、興味深いのですが引用しても「分かるー」としか感想書けないので割愛します。最後、フェイクドキュメンタリーというジャンルの未来についての話が面白かったです。
(梨)『近畿地方のある場所について』の背筋さんがすごく誠実だなと思ったのは、作品が完結した後、バズっていたアカウントとはまた別のご自身のアカウントを作って(中略)そこでライナーノート、作中の裏話みたいなものを出したんですよ。(中略)それを読むか読まないかは、あなた次第だけどねっていう感じの落としどころになっていて。エンタメとしてやるとしたら、それが最適解の一つではあるのかもしれない。
(吉田)今はそれが最適解かもしれない。10年前だったら無粋と言われるかもしれないけれど、今この状況、2020年代の日本のこの状況においては、それは誠実ですね。
(梨)エンタメとして楽しむのであれば誠実ですし、完全にフェイクドキュメンタリーとして楽しみたい人からは「無粋だ」という意見も享受しないといけないかもしれないですね。
このへんは、フェイクドキュメンタリーと実話怪談の受け止められ方について語ってきた後なので“フェイクドキュメンタリーを実話として受け取る人”や“そもそもその両者を区別していない人”などの存在を念頭に言っているのだと思われます。
(吉田)でも完全に隠すことが最適解なのかというと、今はそうじゃなくなっているかもしれない。それはそれでもう浅いのかもしれないっていう。虚実の取り扱いがものすごい勢いで二転三転四転五転しているので、作者はどうすべきかの最適解の態度も常に流動している。
(梨)特にホラー作品、またネットホラーだとさらにそうです。これはもう全く無責任な考察なんですけど、多分、2025年頃までには、ネット上に集積した情報で考察してもらうみたいな手法は、一回揺り戻しが起こるんじゃないか。「そういう考察はもう疲れたよ」みたいになる時期が来るんじゃないかなと思っています。
(吉田)となると、スタンダードな骨太ホラー小説が流行る。
(梨)骨太ホラー小説とか、あるいは最初から解説ありきというか、もう解説を地の文で提示しちゃう。あるいはちゃんとキャラクターがいて、小説として面白いみたいな感じの方に行くんじゃないかなと、私は思っているんです。
(吉田)それはあり得るかもしれないです。私は最近、また篠田節子などの小説を読んでいますけど、やっぱり骨太感っていいなって思いますよね。
(梨)こっちはカウンターですからね。他に骨太ホラーや実話怪談とかがあって、そのカウンターとしてようやく機能するコンテンツだと思っているので。ファウンド・フッテージが主流になったら、絶対に読み手は疲れるんですよ。だってこんな、読み手に能動性を担保して、それでようやく成立するなんてものが乱立した場合、読者にとっては「それらを読み解くのに時間使ってくださいね」なんて知ったこっちゃねえよ、ってなるじゃないですか。
(吉田)ひたすらカウンターであるという意見には、確かになるほどと膝を打つところはあります。もしそれがカウンターでしかないところから脱却するとしたら、それこそプロレタリア文学みたいな、なんらかの意義なりバックボーンをきちんと持つようになればいけるのかな。
(梨)だから、次のステップにはそういうものがあるのかなと、今は思っています。
これはすごい分かる。実際、『近畿地方のある場所について』や『かわいそ笑』読んで、これ考察すんのダルいし別にいいや…ってなって分かんないまま終わりましたからね。読み手に能動性を担保してようやく成立するコンテンツと言っていますが、そもそも読書って受動的体験だし、そこから更に能動的に考察するかどうかは完全にこちらの問題であって作者にも作品にもそれを強制することはできません。どれほど魅力的な作品であっても100%の読者が考察をするわけではない以上、能動性を担保することでようやく成立するなんてことはあり得ないよ。去年600冊くらい本読んだけど、ちゃんとした感想書いたの10冊程度だし…。そんなもんじゃないですか。あと作者のスタンスが「深い」か「浅い」かはどうでもいいというか、一体誰がそれを決めるのか?単に好みの問題では?
しかし、梨のスタンスとしてはそれでもファウンド・フッテージを書くのか、それとも次の潮流に乗る方向に行くのか、全く新しいタイプのホラーを模索するのか、どうなるんでしょうね。また読んでみたい気もします。
最後はホラー漫画に関する寄稿で、著者は緑の五寸釘です。全く詳しくないジャンルですが文章が笑えました。以下抜粋ですが、大意が分かる部分のみ抜粋しているため、文章の面白い部分の多くは抜け落ちてしまっています。でも面白い部分を全て引用すると長くなりすぎるし、ここでは敢えてかなり落としました。気になる方はぜひ買って読んでみてください。
同誌(*ぶんか社『ホラーM』)は、同年9月から電子書籍雑誌『デジタルホラーM』としてリニューアルするが、中身は大衆受けを意識した無難な作品の受け皿であり、これっぽっちも刺激が足りない。そもそも、紙で読めないホラー漫画なんてニンニクを抜いたラーメン二郎みたいなものだ。案の定、デジタルホラーMが起動に乗ることはなく、2012年1月のvol.17をもって配信は終了してしまう。
(中略)
そんな中、異色のゾンビ漫画である花沢健吾『アイアムアヒーロー』(小学館 2009年8月28日第1巻発売 全22巻)や、突如現れた異形の怪物が殺戮の限りを尽くす本田真吾『ハカイジュウ』(秋田書店 2010年8月6日第1巻発売 全21巻)がヒットした影響か、同ジャンルの作品がうじゃうじゃと発生し、人間が景気よくバラバラになる漫画が俄かに勢い付く。
(中略)
また、ホラー漫画の返り咲きには、気運ではあるがWEB漫画サイトの普及も大きな後押しとなった。(中略)WEBはホラー漫画との相性がいい。怖いものが苦手な読者からすれば、物理的に不可分な紙の雑誌と違い、サイトならば興味のない作品は読み飛ばせばよく、所持する必要もないので、そこにあるホラー漫画への忌避感も薄れる。
(中略)
奇しくも紙媒体からの脱却により、ホラー漫画は世間に魅力を知ってもらう好機を掴んだのだ。更には、2010年以降の数年にわたりゾンビやモンスターがド派手に暴れ回り人権を蔑ろにしたことで、人が積極的に死ぬマンガを描いてもいい土壌が思いがけず業界内にできあがっていたのも僥倖であった。
(中略)
このように、一見ホラー漫画の未来は明るいように思えるが、勿論懸念事項もある。ホラー漫画の全体数は増加したが、子ども向け作品は絶滅寸前だ。ホラー漫画に触れずに育った子ども達が大人になった時、果たして未知の文化であるホラー漫画に興味を示してくれるのか不安しかない。本来ならば、幼少期に大人も震え上がる作品でしっかりトラウマを植え付けるべきだが、その環境が整っているとは到底言えない。過去には、少女達にトラウマを刻むことが我々の責務だと言わんばかりにエグイホラー漫画を載せてくれた頼みの綱である少女漫画誌も、最近はめっきり及び腰だ。なんて時代だ。ここには夢も希望もないではないか。
悲嘆にくれながら、ハロプロのアイドルグループ、OCHA NORMAのTikTokを見ていると、メンバーの北原もも(17)が、戸川純「好き好き大好き」に乗せて伊藤潤二先生の代表作であり「富江」風メイクをしており、目玉が飛び出そうになった。同じくハロプロのアイドルグループ、Juice=Juiceの江端妃咲(17)も唐突に富江の絵を描くし、彼女達がどういう道筋で伊藤潤二作品に辿り着いたのか、とても興味がある。
若い世代は年寄りには思いもよらない媒体から、ホラー漫画の断片に触れているようだ。大丈夫だ、未来はきっと明るい。ホラー漫画に幸あれ。
ホラー漫画の衰退と再興の歴史が笑える筆致で語られ、またホラー漫画シーンを彩ってきたおすすめ漫画の紹介もあり読み応えがありました。ひよどり祥子の『死人の声をきくがよい』と田口翔太郎の『裏バイト:逃亡禁止』買ってみました。個人的には『死人の声をきくがよい』は面白いと思いましたが、『裏バイト:逃亡禁止』はあんまハマんなかったなぁ。他におすすめされているものだと、永椎晃平の『スケアリー・キャンパス・カレッジ・ユニバーシティ』も面白そうですね。足鷹高也/木古おうみ『領怪神犯』にも興味がありますが、『真夜中のオカルト公務員』(たもつ葉子)脱落したので似たような感じだったらどうかなーと思い買ってはいない→そのあとで買って読みました。あまりハマらず。まあ、若い頃全然ホラー漫画に触れてきてないけど、大人になってから未知の文化であるホラー漫画に興味を示す私みたいな人もいるよきっと…。
かつては漫画と小説、テレビ、お化け屋敷くらいしかありませんでしたが、2000年代にはネット掲示板が登場し、今ではSCP財団とかYoutube、ゲーム、Podcast、VRなどホラーに接する機会は増えていると思うので、ライト層も拡大しているのではないかと思います。それこそ漫画サイトで無料なら読んでみようから入るとかね。戸川純や伊藤潤二は私も何で知ったか覚えてないけど、時代は違えどサブカル通ればホラー含むアングラ文化には接することになるし、今サブカル的なものがわりと表に出ているのでむしろ昔よりも接しやすいかもしれない。富江もサンリオコラボとかしてるみたいです。
ただ、(言い方はアレですが)子どもにトラウマを植え付ける文化の重要性というのはなんとなく分かり、10代の柔らかい心に刺さったものって一生後引くんですよね。私はそれが小説や短歌だったのですが、漫画だったりテレビだったりした人もいただろうし、今ではやっぱりYoutubeというか素人配信の動画なのかなぁ。。媒体はなんであれ、若い頃に良質なホラー作品に触れて夜も眠れないみたいな経験をした方が人生楽しいかもしれません。
ホラーは自分の好きなジャンルというわけではなくて、でも時々読むこともあり、ホラーって一体どういう需要なのだろう、自分は何を求めてホラーを読むのだろう、と時々考えたりします。ミステリはその点わりと分かりやすくて、本格ものであれ社会派であれある程度は「謎の提示」→「(理論的な)解決」というすっきり感で成り立っているエンタメなんだと思うんですよ。でもこの本で言われている通り、ホラーは特にすっきりはしないことが多い。また、怖さという点でいえば、正直(自分でもくだらなくて陳腐なこと言ってるのは分かるけど)現実の方がよっぽど怖いじゃないですか。それこそ『苦海浄土』もそうだし、ナチスドイツ関連をはじめとする戦争もののノンフィクションや、殺人犯の自供を書いた『凶悪』(新潮45編集部)、北九州一家洗脳殺人事件などの犯罪実録、子殺しや家族殺しもののノンフィクション、日本初の心臓移植の背景を取材した『凍れる心臓』(共同通信社社会部移植取材班)など、他にも読んでいて心底恐ろしくなるドキュメンタリーは多数存在します。そこで敢えてホラーというのはなぜなのだろうと。因習村ホラーの成り立ちは70年代の現実逃避だという発言もあり、ある意味現実の怖さから目を背けるための恐怖のエンタメ化なのだろうかとも思ったのですが、それだけではやはり実話怪談など実話系人気の説明がつかないし、フィクションであると明記されたモキュメンタリーでさえ“実は本当かも?”というところに面白さを感じる人がいるのだろうし、それは要素の一つに過ぎないんだと思う。ミステリとは逆に「すっきりしなさ」がホラーのエンタメ要素なのかなぁという感じもする。すっきりしなさ、説明のつかなさ、理論的じゃなさが、自分にも降りかかってきそうな恐怖として感じられるというか。ミステリだと、自分が被害者になるかも…みたいな読み方は基本的にはできないですからね。
引用が多くなったので長くなりましたが、非常に興味深い対談本でした。様々な角度から現在日本のホラー文化を論じており、クリエイターの視点を知ることができてとても参考になりました。またアカデミックな視点も個人的にはとても面白いところでした。ホラーもそうですが、それ以外でも面白そうな作品をたくさん知ることができたので、ぼちぼち読み進めたいです。あと時間あれば動画とかも見たいんですがYoutubeって広告挟まるからホラー鑑賞には向かないのでは…と思ったりした。実際ご覧になっている方はどうなんですかね。課金してる?あるいはむしろ怖さが間引かれていい感じなのだろうか?
ちなみにこの本で取り上げられた中で読んでみたのは以下の通りです。
・背筋『近畿地方のある場所について』
・梨『かわいそ笑』
・澤村伊智『ぼぎわんが、来る』『予言の島』『ばくうどの悪夢』
・フェイクドキュメンタリーQ『フェイクドキュメンタリーQ この人、行方不明』
・貴志祐介『黒い家』
・葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』
・ヘンリー・ジェイムズ(土屋政雄訳)『ねじの回転』
・磯部涼『ルポ川崎』
・ひよどり祥子『死人の声をきくがよい』1-5巻
・田口翔太郎『裏バイト:逃亡禁止』1巻
・ソニー・インタラクティブエンタテインメント, Project SIREN team, 酒井義、浅田有皆『SIREN ReBIRTH』1巻
・足鷹高也/木古おうみ『領怪神犯』1巻