2024年10月9-15日
・丸谷才一『快楽としての読書 海外篇』
・丸谷才一『快楽としてのミステリー』
・ブラム・ストーカー(唐戸信嘉訳)『ドラキュラ』
・切江真琴『どうやら運命の恋人とすでに付き合っていたようです』
・セバスチャン・フィツェック(酒寄進一訳)『座席ナンバー7Aの恐怖』
以下コメント・ネタバレあり
・丸谷才一『快楽としての読書 海外篇』
日本篇に引き続き、海外篇です。翻訳ものは、すでに本国でその価値を認められてから訳されるためか、息が長いものが多いように思います。「日本篇」に比べて、気になった本が絶版になっている割合が少なかったです。電子書籍で手に入るものもそれなりにあってありがたい。でも『蜘蛛女のキス』、電子書籍なかったなぁ。読んでみたいです。本買うしかないのですが、置き場所をどうにかしないと…。あとリアル本は電子書籍よりも積読になりやすくすでに溜まっているので増やしたくない…。
・丸谷才一『快楽としてのミステリー』
ミステリやハードボイルド、スパイ小説についての書評をまとめた本です。いわゆる“純文学論争”(探偵小説は文学といえるのか?)について多角的につきつめながらもミステリジャンルを娯楽として楽しむ様子が好きです。いいなと思った箇所いくつもあるんですが、長いので読んでるうちに忘れちゃったよ…。一つだけ以下に引用しておきます。
レイモンド・チャンドラーの小説の私立探偵フィリップ・マーロウの台詞、「しっかりしていなかったら、生きていられない。優しくなれなかったら、生きている資格がない」が角川映画『野性の証明』の宣伝に用いられており、そこでは「男はタフでなければ生きていけない。やさしくなければ生きている資格がない」と訳されていることを、原文を引用して批判しています。原文は
If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to alive.
なのですが、
「やさしくなければ」と角川映画的に訳したのでは、「ハード」から「ジェントル」への時に応じての変化という一番大事なものが落ちてしまふ。ここはやはり「優しくなれなかったら、生きている資格がない」と清水俊二ふうに訳すのが正しいのだ。
と書いていました。確かに直訳すると「もし俺がタフでなければ、俺は生きていないだろう。もし俺が優しくなることができなかったら、俺は生きるに値しないだろう」ということになります。「やさしくなければ」ではなく「やさしくなれなければ」なのか。英文は長くてかっこいいのですが、日本語だと短い方がかっこいい感じがするのが不思議だなぁ。だから訳が難しいんだろうな。
・ブラム・ストーカー(唐戸信嘉訳)『ドラキュラ』
もはや知らない者がいないくらい有名なドラキュラ伯爵の話です。とても長いという事前情報があったのでビビりながら読み始めましたが、面白かったです。全編手記で展開するので、書き手によって持っている情報量がまちまちだったりその時点では何が起きているのかよく分からなかったりという見せ方のうまさもあってとてもハラハラしながら読めました。いつも、古典の長い小説は途中であらすじや結末をWikipediaで確認してしまうのですが、これに関しては最後までドキドキしたい!と思い検索せず読みました。半分くらい、バッドエンドかもなぁって(ある意味?)期待してたのもあって…。
解説も面白かったです。ヴァンパイア伝説や先行する文学作品(であり、女性同性愛要素の強い)『カーミラ』を取り上げながら、『ドラキュラ』のジェンダー観にも触れていて興味深く読みました。確かに旧態依然としてはいますけど、でも読んでて特に不愉快さは感じませんでした。まあこれは私が当時のジェンダー観なんてこんなものだろうとその点について全く期待していなかったのはあるかもしれませんが、一方で男女がお互いリスペクトし合うような、役割分担社会のポジティブな側面だけが強調されて描かれていたからかもしれません。でも確かに『ドラキュラ』のルールに則ると、男吸血鬼が女性を襲うのはOK、男吸血鬼が男性を襲うのはNG(男性同性愛にあたるので)、女吸血鬼が女性を襲うのは△(『ドラキュラ』では描かれていないが、『カーミラ』では女性同性愛の暗喩として描かれているらしい)、女吸血鬼が一般男性を襲うのはNG(乱倫にあたるし、男性が受け身になるのは不可なので)、女吸血鬼が婚約者の男性あるいは夫を襲うのは△(実際には襲おうとはするが阻止される。この場合乱倫には当たらないが、やはり女性が主体で男性が受け身になるのは不可というジェンダー観からか)というわけで、女性しか襲われません。もっと言えばこの小説の中では男吸血鬼が女性を襲うパターンしか描かれません。女吸血鬼は仕方ないので子供の血ばっか吸ってました。そういう意味ではちょっとつまらないかもしれない。このようなジェンダー観的な読み方の他にも他人種による侵略や疫病の暗喩など、色々な読み方があるそうですね。
最初の語り手が殺されなかった(あるいは女吸血鬼の餌食にならなかった)不自然さはありましたが、ホラー?としても概ね面白かったです。ヴァン・ヘルシングって『ドラキュラ』に登場するキャラクターだったのかぁ…。それにしても、全て人間側の手記なので生前の?ドラキュラ伯爵がどんな人なのかよく分からなかったのが残念。
そういえば『トワイライト』が2008年だなんて驚きです。16年も前なの…。
・切江真琴『どうやら運命の恋人とすでに付き合っていたようです』
一次BLです。今気づいたのですが私、楠田雅紀と切江真琴を混同していましたね。切江真琴の作風がドタバタコメディ系でした。『恋のゴールが分かりません!』が一番面白かったな。これもある意味勘違い系ですが、うーーん。まあ、受がうじうじしてないとこは読みやすいかな。
・セバスチャン・フィツェック(酒寄進一訳)『座席ナンバー7Aの恐怖』
前に『乗客ナンバー23の消失』読んだことがあってこっちも読んでみた。基本的には登場人物が精神を病んでいる系の話はあまり好まないのですが(人を操るとか、そんな思い通りにならんやろ…と思ってしまうので)、まあそこそこ面白かったです。というか『乗客~~』の方はかなり胸糞悪かった記憶があるので読後感はこちらの方がずっといいと思います。