「一首鑑賞」の注意書きです。
201.すこしずつ花の領土になっていく家のかたちを思い出せない
(丸山るい)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで井上法子が紹介していました。
この歌を読んで、とっさに
廃駅をくさあぢさゐの花占めてただ歳月はまぶしかりけり (小池光)
を連想しました。
この「花」は何の花だろうか。家を覆いつくすもの、というと、花よりも蔦みたいなものが連想されます。だから、なんだか現実の廃屋を詠んでいるのではないような気がする。「家のかたちを思い出せない」というのも、そこにまだ家屋があって、花が覆っていく、って意味じゃないような気がします。どちらかというと、すでになくなった建物の跡地に新しい建物が建っている時、前に何があった場所なのかうまく思い出せない気持ちみたいな…。
だから、この「家」はすでにどこにも存在しないような感じを受けました。思い出そうとするんだけど、花に覆われた姿しか、もう思い出すことができない。でも「すこしずつ花の領土になっていく」ってことは、花に覆いつくされてしまっているわけでもないんですよね。まだ占領されている途中なの。それでもすでに自分の中から「家」は消失しているんです。
そう考えると、houseとしての「家」ではなく、もっと抽象的にhome としての「家」という読み方もできそうですが、その場合「花の領土」は何を意味するんだろうな。「花」からは美しさや明るさ、希望などポジティブな意味合いが連想されますが、それによってhomeが失われるとしたら、その「花」は何なんだろうか。
家庭崩壊や戦争などのメタファーとしても読めそうですが、「ただ歳月はまぶしかりけり」という意味合いで読んでもよさそうにも思えます。うまく読めてない感じがしますが、なんていうか、「蔦」とか「草」じゃなく、「花」や「くさあぢさゐ」っていうのが、単純な亡失を超えた何かを連想させるのかもしれないと思いました。
空っぽの箱を夢とか言っていい色とりどりの花でも詰めて (yuifall)