山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
飯沼鮎子
わがうちの sentimentalism 潰しても潰してもある苺のつぶつぶ
この人の歌、すごく好みです。特に感想とか書かずに好きな歌を紹介すると、
千年も前から君を好きだった ストーンヘンジに滲む夕つ陽
スペインの少女と座る二時限目ヒロヒトの死を問われていたり
ワイン漬けの休日君とチェスをして城(ルーク)はあげる騎士(ナイト)もあげるわ
始まらぬ恋というのも楽しくてスコールみたいなジャズ聞かせてよ
かなしみが透き通るまで抑えよと言いき<月光>を弾く傍らに来て
とかとにかく好きです。前半は、日本語教師としてイギリスに在住していたときの歌みたいです。その後帰国して塾講師となるようで、
傷もたぬプラスチックの青春を楽しみながら蹴飛ばしながら
悲しいなら傷つけてごらん透きとおるガラスになって待っているから
と詠っています。
解説に
「透き通る」「傷」がキーワードであり、また第1歌集のタイトルにも冠されている「プラスチック」が深い意味を持っている。飯沼は自分の青春がプラスチックのような輝きを放っていて、本物の深い傷とは無縁であることに自覚的である。そしてそれは苦悩を抱える塾の生徒たちも同様だ。
とあります。そこで「ガラスになって待っている」っていうのは、本物の傷をつけてもいいよ、ってことなんだろうか。
だけど、プラスチックでもガラスでも、傷は傷だよね。「本物の深い傷」って何なんだろうか。それが例えば戦争とかそれによる親族との死別および負傷とか、児童の労働とか虐待とか貧困とか飢餓であるなら、それは「本物」かもしれないけど味わう必要のない痛み、子供に味わわせるべきでない痛みではないだろうか。
ただ、plasticには本来「可塑性の」という意味があって、「柔軟な」「感受性の強い」という意味合いを持つ英単語なので、「プラスチックスクール」という歌集タイトルはそういう意味かもしれないと考えました。青春期は誰でも可塑性で柔軟性で感受性が高いものなんじゃないかな。
まあ誰でもは言い過ぎかもしれないですね。それこそ、青春期に至るまでに「本物の」傷を負ってしまった人はplasticではいられないでしょう。だからこそ、「傷もたぬプラスチックの青春」なんだろうし、それを守るのが大人の仕事なんじゃないかという気がしてます。
傷だらけのプラスチックが僕なんだ本物だから探さないでね (yuifall)