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ぼくの短歌ノート-「落ちているものの歌」 感想

講談社 穂村弘 著 「ぼくの短歌ノート」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

落ちているものの歌

 

 手袋の歌が多い、とあって、私も実際毎年の恒例行事かってくらい片手だけ手袋落とすので、身につまされながら読みました…。本当はムートンのあったかい手袋欲しいのに、毎年どうせ落とすしと思うと安物しか買えない悲しさ…。

 

手袋の片方だけが落ちている何か不思議な決りのように (黒沢竜)

 

って、ぐっと胸に迫りますね(笑)!その通りだよ!なんで毎年必ず片方だけなくすんだろう…。買い直してまたなくしたこともあるし…。一体何の決りなんだよ!

 

ソフトクリームの上半身が落ちている道 君は今どうしてる? (つきの)

 

は面白いですね!ソフトクリームの上半身!言い得て妙!解説には

 

落ちている「上半身」を久しぶりに発見したことで、<私>の中に友達と食べ歩きをしていた青春の記憶が蘇った。

 

とあり、確かに高校とか大学の頃、すごい段々にしたアイスとかクレープとか友達と食べてたなーって思い出した。

 でも同時に『短歌タイムカプセル』の時に引用した

 

どうやって生きてゆこうか八月のソフトクリームの垂れざまを見る (陣崎草子)

 

を思い出して、この歌ってソフトクリームを眺めながら「どうやって生きてゆこうか」って考えてる光景なはずなのに、なんかほんとーーに勝手な想像なんですけど、この歌見るとどうもソフトクリームよりも別のことに熱中しているような、例えば恋人と一緒にソフトクリームを買って舐めてる最中にいちゃつき始めてキスとかし始めてソフトクリームが溶けちゃって「上半身」が落下するような、そういう光景を連想するので(笑)、ソフトクリームの上半身を見て思い出した「君」はかつての恋人って説もありだなと思いました(笑)。

 

 あとは

 

雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁 (斉藤斎藤

 

も好きだな。県道ってのも田舎感出てて好きですし。解説には

 

そんな状態でも「これはのり弁」とちゃんとわかってしまうところがポイントになっている。

 

と、何弁だかわからないほどぐちゃぐちゃにはなっていない説が採用されていましたが、私はぐちゃぐちゃ説を推すな(笑)!これは単に具がない=のり弁という発想なのではないか?どんなにぐちゃぐちゃでものり弁とから揚げ弁当の違いは分かるやろ。

 ぶちまけられてぐちゃぐちゃであるにも関わらず「のり弁」と分かる理由については色々と想像が可能であり、

①具がないからのり弁と考えた説

②のり弁だと思い込んでいるだけで実はのり弁ではない説(家に米はあるしおかずは洗えば食える!って思っておかずだけ回収して帰ったのかも笑)

③弁当の容器に「のり弁」と書いてあった説

④有名チェーン店orコンビニの弁当だから見ればのり弁であることが分かる説

⑤自分もよく行く弁当屋orスーパーの見覚えのある弁当である説

などが考えられます。

 そもそも雨の県道でぶちまけられているんだからぶちまけた人は自転車に乗っていて派手に転んだに違いなく(歩いていてこけただけじゃそうはならないだろうし、バイクなら事故です)、そこを歩いている斉藤さん(便宜上そう呼びます)とは生活圏が被っているに違いなく、「県道」だし田舎で多分あんまり店とか多くはなくて斉藤さんも知っている店のものである蓋然性は高そうです。そしてぶちまけた人はあまり金がない一人暮らしの男性で、自転車で傘さし運転(ビニール傘ね)をしていたに違いないわ。

 まあ他にもいじめ説や(理由は分かりませんが)わざと弁当をまき散らした説なども考えられますが、こんなところが妥当ではないでしょうか(笑)。『九マイルは遠すぎる』(ハリイ・ケメルマン)なみの妄想プロファイリングでした。

 

 

干乾びた毛虫 腐った鉄の棒 遠く白線歪む県道 (yuifall)

プールから拾ったお札、あれってさ、なんかのおまじないだと思う? (yuifall)