「一首鑑賞」の注意書きです。
318.「住民票一通三百円です」ともう千回は言つてるだらう
(片岡絢)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで大松達知が紹介していました。
確かになー、と思いました。私も仕事で日常的に遭遇する出来事に対し、全く同じ文言を繰り返していることは多々あります。多分もう千回じゃきかないと思う。でも相手にとってはまるで初めての出来事だったり、戸惑っていたり緊張していたりするんだろうなとも思います。
身もフタもないような直截な文体から、自分は何者であり、社会は何であるかを、ごくごく自然に問うてゆく。
とあります。
「社会は何であるか」とまで言われて、ちょっと考えました。今、「生きづらさ」とか色々言われてるけど、私の祖母はど田舎からど田舎へ18歳で嫁いで、実家には井戸があったけど嫁ぎ先にはなかったから川の水を汲むしかなかったのが辛かったと言っていました。洗濯機も冷蔵庫も何もない時代だったと。だから朝から水を汲んで、朝ごはんを作って、片付けて、洗濯をして、農作業をして、昼ご飯を作って、農作業をして、同居の老人の世話や子供の世話もして、夜ご飯を作って、風呂を沸かして、そんな生活をしていたと。電化製品のない時代は、生きることは生活を繰り返すことそのものだったわけです。その時代に比べて今って生きづらいのかな、といつも思う。そもそもあらゆる生き物は生きることイコール食べることと生殖をすることで、人間はそこから逃れて余暇の時間を持ってる。それはつまり、何かを繰り返す必要のない時間です。社会において何かを繰り返すことは徒労でもなく呆然とすることでもなく、単に生きることそのものなのだろうと思います。生きることは自己実現なんかじゃなく、単にそこにあることなんだと。
ならざるを得ぬものとしてわたくしは死神業務に今日も勤しむ (yuifall)