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「一首鑑賞」-69

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

69.真夜中のバドミントンが 月が暗いせいではないね つづかないのは

 (宇都宮敦)

 

 この歌を知ったのは『ねむらない樹』の対談からですが、他でも色々なところで取り上げられています。今回は黒瀬珂瀾の鑑賞文を引用しながら色々考えたことを書きます。

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 意味としては、「真夜中のバドミントンが続かないのは月が暗いせいではないね」ということになり、「月が暗いせいではないね」が間に挟まれることによって詩っぽいな!っていうのが第一印象でした。私はそれ以上突き詰めないでしまったのですが、ここで鑑賞文を読んで

 

やはり、「月が暗いせいではないね」の句を、無理やり文の真ん中にねじ込んだ、奇妙な歌の構造が気になる。ここが歌の核だ。つまり、この歌が出してくるメッセージは、〈バドミントンが続かないのはなぜだろう〉ではなくて、〈とにかく、月のせいじゃないよ〉なんじゃないか。ぼんやりとした最低限の明かりを浴びる私たちの生。何かがいつもうまくいかないけれど、それは明かりの弱さのせいではない。僕たちの生はその明かりでかろうじて世界を見る。その弱い月光を頼りに、今夜を生きなくてはいけない。

 

とあり、ああ、そっか、と思いました。「詩っぽい」という曖昧な感覚を文字に落とし込んでもらって、そうだったのか、という感じです。

 

 思うに、「月が暗い」ことはあらかじめ分かっていて始めた「真夜中のバドミントン」だから、「つづかない」のはここでは描写されていないメタな理由なのかもしれませんが(バドミントンが下手とか、酔っぱらってるとか、そもそも目が見えていないから月明りは関係ないとか理由は無数に思いつきますが)、その理由は多分どれもどうでもよくて、「つづかないことは分かっていて始めた真夜中のバドミントンなんだから、つづかないのは月が暗いせいではない」ということなのかなあ、って気がします。月は暗くてもライトは煌々と照っていたのかもしれないし。

 鑑賞文ではこの「バドミントン」を「恋人同士の関係」に読み替えつつも、そんな単純なアナロジーを詠みたいわけではないだろう、とも書いています。「恋人同士の関係」とすると、「二人の関係がうまくいかないのは月の暗さ(外因)のせいではない」、つまり「うまくいかないことはわかっていて付き合い始めたのだから、うまくいかないのは環境の問題ではない」ということになり、自分たち自身に問題がある、ということなのかもしれません。

 

 ところでずーーっと昔、医者の友達が「夜中に呼び出されて救急外来に行ったら酔っぱらってバドミントンをしていて脱臼したという人が来て、同い年だったしなんかすごい脱力した」みたいなことを言っていたのをこの歌見るといつも思い出すんですよね…。真夜中のバドミントンが続かないのは脱臼したからかもしれないな。

 

 

明け方の赤信号に立ち止まる(律儀に)夜を引きのばすため (yuifall)