山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
大野誠夫
クリスマス・ツリーを飾る灯の窓を旅びとのごく見てとほるなり
しぐるる街逢ふは貧しき顔ばかりひげぬれてゆくサンタクロウス
1914年生まれの歌人だそうです。「クリスマス・ツリー」、「サンタクロウス」は戦後でしょうか。
あれほど短期間に価値観が激変した時代を生きるっていうのはどういうことだろうな、って考えたりします。戦争の悲惨さについてはもちろん他にも考えることがいっぱいあるんですけど、敗戦後、窓辺に「クリスマス・ツリーを飾る」のはどういう心境なんだろうな。新たな時代への希望だったのでしょうか。それに対して「旅びとのごとく見てとほるなり」というのを読んで、自分はその窓の中にはいない、と思っているのかなと感じました。
でもどれだけ希望を持ってクリスマス・ツリーを飾っても、「逢ふは貧しき顔ばかり」なんですね。この後高度経済成長期、一億総中流を経て、バブル崩壊、失われた30年、コロナ禍を経て今があるわけなのですが、今後の経済予測では、2030年代には経済が恒常的にマイナス成長になり、2050年代には後進国となるそうです。その頃、私たちは「クリスマス・ツリー」を飾ったりしているのだろうか。「逢ふは貧しき顔ばかり」に戻る日もそう遠くないのかもしれない、と思いながら読みました。
戦場にゆかざるゆゑの負目(おひめ)にも言葉なくわれは長く耐えにき
解説には、
大野は二度の離婚を経験し子供と引き離されて暮らすことになるなど、家庭に恵まれなかったそうだ。その影は孤独な父親像としてしばしば歌にもあらわれているが、それを実人生と重ねられることは周到に避けていた。大野の基本的なスタイルは反リアリズムであり、己の美学に殉じることだった。
とあります。
冬の夜の舞台を鎮めひとり舞ふ役者の老いのすずしかりしよ
この「役者」のモチーフはそういう美学に殉ずるという意味合いなのかもしれません。
でも上の歌の「戦場にゆかざる」っていうのは、事実なんだろうかそれとも事実ではないんだろうか、と考えました。この「負目」、分かるけど辛いですね。自分は苦しまなかった、っていつまでも暗く考えるんですよね。犯罪被害者でも、生き残って帰ってこられたとき、サバイバーズギルティという罪悪感にずっと苛まれる人が多いと聞きました。戦争は犯罪と同じく、行った人にもそうじゃない人にも傷を残すものであることを、鋭い痛みと共に考えさせられます。
いなかった私のことをいつまでも覚えています 瓦礫の町で (yuifall)