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現代歌人ファイル その64-小野寺幸男 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

小野寺幸男 

bokutachi.hatenadiary.jp

並べ駐め仮眠するタクシーの列に吹き芽吹きなまぐさき墓地よりの風

 

 岩手県出身、高卒後上京して肉体労働に従事した後タクシー運転手として生活していた、と解説にあります。「東北の貧しい家庭に生まれ、上京して肉体労働で生活するという環境が、プロレタリア的な雰囲気を醸成するのは自然なことであろう」と。

 この人の歌や鳥海昭子の歌を読んでて、地方出身で上京して過酷な労働に従事しながら歌を詠む人の気迫ってすごいなって単純に感動しました。自分が同じ環境だったら文学に興味を持てたとは思えないもん。こんな言葉持てないよ。だからこそ、プロレタリアートが産む言葉、プロレタリア文学には意味があるのかなって思いました。言葉を持たない多くの人々のための文学というか。

 

ホテルより帰る娼婦とわが知れど乗せつつ蔑むこともはやなし

 

黒き湾抱きて眠る東京を戻る未明の稲毛より見る

 

 夜通し働いて未明とか朝の歌が目につきます。乗せるお客さんも「娼婦」だったり「男娼」だったり、お互い夜通し働いてがんばったな、みたいな、夜働く人たちの連帯感を感じます。

 そんなちょっと泥臭い歌の中に、

 

階段でわれはたちまち追い越さるオリーブ・オイルのような女に

 

みたいなセクシーな歌が混じってて、この「オリーブ・オイルのような女」ってどんな女性なのかなぁ。中年のしがないタクシー運転手が若くて瑞々しい女にふと性欲を抱くみたいな(身分違いの)イメージなのか、解説にあるように「無頼」で「ダンディ」な男がちょっと影のある女と刹那的な関係を結ぶ(ハードボイルドな)イメージなのか、私にはよく分からないです。でも、「階段でたちまち追い越さる」んだから、ブルジョアジーの手が届かない女って気もします。

 

いまだ相馬の少女でありしわが妻に恋いされし幾たりかの青年あわれ

 

まがなしき東北に生(あ)れ土に這い子を生(な)し老いき病みき縊れき

 

 妻は相馬の出身なのでしょうか。出自は違えどともに東北出身なんですね。

 こういう、「まがなしき東北」「土に這い」「百姓」という言葉は、東北出身だからこそ生まれてくるのか、それとも例えば北関東、九州、山陰、北陸とか四国とか、とにかく地方ならどこでもある程度はそういう感慨があるのか、どちらなのだろうか。同じく地方(あるいは田舎)であっても、例えばかつて神が住んでいた山陰地方と、蝦夷と言われた東北・北海道じゃやっぱり「まがなしさ」が違ってくるのかもしれない、と思ったりもしました。解説には母の自殺などこの人の人生のバックグラウンドも語られていて、ただの出身地だけの問題ではないのかもしれないとも思いましたが…。

 

 

幾度も死を見送れる空床に戦火を恋ふる男あをむく (yuifall)