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現代歌人ファイル その29-吉野裕之 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

吉野裕之 

bokutachi.hatenadiary.jp

夕暮れのサッカーボール夕暮れの足に蹴られて転がってゆく

 

 こういう感じの歌ってたびたび登場しますね。みんな、何かをじいっと見つめて世界が不意に異界になる瞬間みたいなのが好きなんだろうなー。やっぱり、立ち止まってしまうもん。解説には、

 

ひたすらに一点を見つめて世界を反転させようとする視線の集中である。(中略)写生ではない。日常から非日常を取り出す発見の歌でもない。しかしその両方の要素を併せ持ち、新鮮な驚きを与えてくれる。

 

とあります。確かに「非日常」ではないんだけど、「あれっ?」ってなるんだよね。ああ、世界ってこうだったな、みたいな。

 なんか子供のころ、お風呂につかりながら、何で今私お湯につかってるんだろうな…ってぼんやり考えてた時のこと思いだしました。個人的には、こういう日常の気付きみたいなことを歌にするのは非常に不得意です。なのでできる人ってすごいなって思います。というか、多くの人はこういう歌が好きでも作るのは得意じゃないんじゃないかなーって気がする。だからこそ心に残るのでは。

 

ぼく達がいま歩きいるコラージュの街に空飛ぶ鯨を見たか

 

 この歌好きだなー。街はコラージュで、ふっと影が過ったような気がして見上げるの。もう何もないんだけど、「今、鯨だった?」っていう感じです。アニメっぽい映像で頭に浮かびます(笑)。

 

夏へ地図展(ひろ)げるごとくいもうとのパジャマの胸をそっと開いて

 

 最後に「いもうと」の歌がいくつか紹介されています。どうしてこれは相手が「少女」でも「恋人」でもなく「いもうと」なんだろう。やっぱり、触れられない相手だからなのかな。解説には

 

吉野の歌う妹は理解しがたい他者だが、紛うことなき固有の人格を持ち、「僕」を少し危険な世界へと誘う。この妹がいつも寝具と一緒に描写されるのは、ようは「眠り姫」だからだ。眠っている限り「僕」と「妹」は何らの関係性も持てない。にも関わらず、世界の外側で不可思議な魅力を放ち続ける。

 

とあります。決して関係を持つことのない相手、それどころか「眠り姫」であれば、言葉を交わすこともない相手。でもなんか淫靡な感じがします。

 「せいぜい「僕」と「君」程度にまで縮小する人間関係で社会が成立している」世界、と解説にはありますが、実際には、取り上げられている歌に「君」は一度も登場しません。「みずほちゃん」「友」「看護婦の美奈子さん」などは登場しますが、これらはみな「匿名に等しい固有名詞」「誰とでも取り換えがきくような人物名」とされています。その中で「いもうと」だけが交換不可能な「他者」というのは不思議な感じもするし、「血族」だからこそ交換不能なのかなという気もする。「友達」も「恋人」も入れ替えできるけど、「いもうと」は一生「いもうと」なわけだから。

 

 

ハルニレにかかった野良の風船は3日目の朝消えていたんだ (yuifall)