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現代歌人ファイル その13-高島裕 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

高島裕 

bokutachi.hatenadiary.jp

銃声の繁くなりゆくパルコ前間諜ひとり撃たれて死にき

 

 PARCOって、なんですかね。仙波龍英の歌にも

 

夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで

 

ってありますけど、なんか、歌心をかきたてる存在なのかな。しかも、破壊系の。渋谷PARCOリア充死ねみたいなさ(笑)。私は正直東京の(しかも60年代生まれの方にとっての東京の)文化にそれほど詳しくないし、PARCOにそれほどの思い入れもないので、戸惑うばかりです。

 この歌は、解説によれば

 

 「首都赤変」は軍事テロの起こった架空の東京を舞台にした連作であり、短歌にSF的発想を持ち込んだ意欲作である。単なる幻想ではなく、混沌の中で現実と幻想が一瞬交差する瞬間を捉えた歌に才能がきらめく。

 

だそうです。都市を舞台にした戦争的とかSF的な作品って仙波龍英や吉岡太朗にもあったような気がしますが、やっぱりその都市に根差してないと見えないものであるようにも感じます。。

 うーん、違うのかな。東京を破壊したい、世界の秩序を壊したい、という激しい衝動や願望がないから共感が難しいのかも。ジープも兵も間諜も弾丸も私にとってはリアルじゃないもんな。時代や戦争みたいなものにひりひりと向き合ったことがないからなのかもしれません。

 

閉ざしゆく空くれなゐに塗り籠めて少年の瞳(め)は永遠(とは)の真夏日

 

 この歌は『新世紀エヴァンゲリオン』に題をとった一連の歌の中の一首みたいです。言われてみれば、残酷な天使のテーゼっぽいな。今調べたらアニメは1995年らしいので、1967年生まれだと、20代後半ですね。アラサー世代であの作品に初めて出会うとどういう印象を受けるのだろうか…。今だとああいう不条理系アニメってよくありそうですよね。あんまりアニメとか詳しくないのですが、エヴァもいろんな先駆作品のパロディ的な側面はあるって話だし、当時もそういう印象だったのかなぁ。

 

 解説には、「終末への待望」「サブカルチャーとの親和性」の他、「少女と相聞」への信仰にも近いような憧れが指摘されています。

 

少女といふ神を拝(をろが)むわが内の「十七歳」を揉み消せぬまま

 

これなんてまさに「信仰」って感じですが。解説を読むと、

 

 自らの中の少年性を殺すことができないまま成長したがゆえに、世界と社会を憎み、少女と愛を信じる。高島の見る幻視は、破壊にせよ美しいエロスにせよ刹那的なものである。しかしそのような刹那的な美意識を共有する人が少なくないのであろうことは、短歌の世界を飛び出てサブカルチャーに目を向ければなんとなく実感できるものである。僕が短歌を知りはじめた頃もっとも熱狂した歌人のひとりに高島がいたことも、おそらくは僕の中にもやはり永遠の少年性が眠っていることの証左であったのだろう。

 

とあり、面白かったです。こういう文章に出会えるから短歌の解説とか解釈を読むの好きなんだよなー。私自身には「少年性」はないし、「少女」への憧れは皆無ですもん。むしろ、『短歌タイムカプセル』の飯田有子の感想にも書いたけど、少女時代(って書くとK-POPアイドルみたいだけど違います…)の思い出ってああー、面倒だったなー、みたいな…。未だに美化されない痛みというか…。青春期(ミドルティーン以降)の思い出ってある程度美化されているのですが、ローティーン以下の「少女時代」って、美化されないです。ところが、そういう、なんというか世の中に汚される前の少女性、あるいは内に未知なる官能や残酷さを秘めた少女性っていうものを、(おそらく儚く、また遠いものであるからこそ、)きわめて美しいものとして見る人もいるんだな、と。

 じゃあ私には「少年」に対する憧れはあるのかというと、大人になった男性が詠む「少年」の歌、例えば永田和宏

 

あの胸が岬のように遠かった。畜生! いつまで俺の少年

 

なんてめちゃくちゃ好きですけど、それは「少年性」に対する憧れや美化とは違うなーと。なんていうか、開けてみたら宝石が入ってるんじゃないか、みたいなドキドキ感には乏しいというか…。どうせ石炭やろ、みたいな…。

 こういうと非常に性差別的発言になるのかもしれませんが、「少女」の持っていたものを失いながら大人になる女性に対し、「少年」の持たないものを獲得しながら大人になるのが男性なのかもなー、とか思いました。だから、心の奥底の変わらないものとして「永遠の少年性」はありうるけど、「永遠の少女性」はともすればグロテスクに感じるのかもしれない。まあ、こういう過度の一般化(しかも無根拠)ってよろしくないですね…。

 

 それにしても「十七歳」が少女かと言われると微妙だな…。いや、大人の目からすると慈しみ愛すべき子供なんですけど、自分自身が十七歳だったときのことを考えると…。「少女」に対する相聞歌を作るのは私には非常に困難ですね…。

 

 

水蜜桃(すいみつ)を抱くがごとく取りし手のあえかな細さ 夢で逢おうか (yuifall)